2026年、秋。
世界は今、新しい時代の入り口に立っています。

最近、AIに関するニュースを目にしない日はありません。新しい技術が発表されるたびに驚き、数ヶ月前には不可能だと思っていたことが、いつの間にか実現しています。AIの進化は、もはや目新しいニュースではなくなりつつあり、何かとてつもなく大きな変化が、静かに、しかも驚くほどの速さで進んでいるように感じます。AI時代の幕開けです。私たちは今、歴史の転換点に立っているのかもしれません。
変革の再来。
パソコンが誕生して間もない頃のこと。まだインターネットもない時代。ある日、新しいモノずきな上司が言いました。「聞いてくれ。パーソナルコンピューターを買ったんだ。100万近くした。」皆んなびっくりしました。「は?」「コンピューターなんか、自宅に持ち込んでなにしますの?」今でも、あの衝撃は覚えてます。
「あー、流石モノ好きなNさんらしいよね。」みんな苦笑いしてました。数年後、自分がパソコンを使って仕事をするようになるとは、夢にも思ってなかったです。インターネットの普及に伴い、パソコンは自宅やオフィスに欠かせない存在となっていった。今や、注文した商品が翌日には届く。飛行機やホテルの予約も、銀行の振り込みも、スマートフォンひとつで済んでしまう。買い物の仕方も、働き方も、人とのつながり方も大きく変わっていった。
そして、その変化の中から、IT業界を中心に、新しい職業や産業が生まれてきました。様々な技術が登場したとき、その先に生まれる社会の姿を、全く予測することができませんでした。もしかすると、今のAIも、どこかあの頃に似ているんじゃないのか?インターネット?なんじゃそれ。だったはず。・・・AI。人工知能?
「またあの変革の時代が、やってくるんだ。」今ならわかる。時代の流れを見てきたからこそ。AIは今、すでに整っている巨大な基盤を使いながら、人間が担ってきた知的な作業そのものに、静かにかつ凄まじいスピードで入り込もうとしています。これは、変わる。時代は、変わる。しかも、猛烈な勢いで。今、そんな予感しかない。わたしたちは、これから一体どこへ向かうのでしょうか。
著名人が語る、労働と社会の未来像。
2026年7月、ソフトバンクグループの孫正義氏は「SoftBank World 2026」で、AIが人間の労働を大幅に代替する未来について語りました。
孫氏は、2040年には100兆個のAIエージェントと10億台の人型ロボットが稼働し、人間に代わって多くの仕事を担うと予測。人間が働いて賃金を得るという従来の社会の仕組みも、大きな転換を迫られる可能性がある。一方で、人間は労働から解放され、自分が本当にやりたいことに時間を使えるようになるという未来像も示した。
AIやロボットが人間に代わって働き、社会に十分な富を生み出すようになれば、人間は生活のために働く必要がなくなるという見解です。でも、AIが生み出した富は、どのように分配するのか?平等なの?格差はなくなるの?働かずに生活できる社会をどう実現するの?未知なる課題が多すぎて、今のところは非現実すぎると思います。でも、ずっと当たり前だと思ってきた「働いて賃金を得る」という社会の仕組みそのものが、問い直され始めているのです。

実業家のイーロン・マスク氏も、AIによって人間の労働や経済の仕組みが根本から変わると予測しています。マスク氏は、今後10〜20年で働くことは義務ではなく、趣味のようなものになる可能性があると発言し、さらに、2036年頃には、お金そのものが意味を持たなくなるという大胆な見通しも示しています。
仕事や賃金はどうなるのか。
AIが進化すれば、仕事や賃金はどうなるのでしょう?身の回りのほとんどがAIに置き換わり、人間の仕事はなくなってしまうのか。あるいは、新しい仕事が生まれるのか。企業の生産性が上がり、私たちの賃金も上がるのか。あるいは、AIを所有し、活用できる企業や人に富が集中し、今以上に、格差が広がっていくのか。

例えば、医師や看護師はAIに置き換えられにくい職業だと言われていますが、診断の補助、医療画像の解析、記録の作成、患者の状態の監視など、医療の現場でもAIが担える業務は増えています。さらに、近年はAIが現実世界を認識し、ロボットを通じて実際に動作する「フィジカルAI」の開発も進んでいます。手術支援や患者の搬送、身体介助など、これまで人間の手が必要とされてきた領域にも、自動化の可能性が広がり始めています。もちろん、安全性や技術面の課題は多く、すぐに医師や看護師が不要になるわけではありませんが、知的労働だけでなく身体的な労働までAIが担うようになれば、これまで「人間にしかできない」と考えられてきた仕事の境界線も、大きく変わっていくのかもしれません。
未来は、椅子取りゲーム。
わたしも、つい数ヶ月前まで、「Web制作会社はなくならない」「AIがコードを書くようになっても、考えるデザイナーは生き残る」制作作業が自動化されても、企画や設計、デザインの判断は人間の仕事として残るはずだと強く思っていました。
でも、今日、ここですべて撤回します。
わたし自身が、ここ数ヶ月間、AIを使って仕事をして、その考えは大きく変わりました。AIは、コードを書くだけではないんです。今はまだ不完全な部分も多けれど、企画を考え、構成を提案し、デザインを作り、問題を発見し、修正まで行うようになっています。ここ数ヶ月の進化の速度を見ていると、何が人間に残るのか、簡単に言い切れなくなってしまいました。もちろん、優れたデザイナーや制作会社が生き残る可能性はあります。ただ、それは限られたポストを奪い合う、椅子取りゲームのようになるのではないでしょうか。
もはや「真の実力」だけで生き残れるのではなく、経験、能力、運、タイミング、人脈など、様々な要素がうまく重なったラッキーな人だけが、限られたポストに座れる気がします。座れなかった人は、残念ながらAIに置き換わってしまう。正直、そう思っています。じゃあ、どうすればいいのか?
椅子を奪い合うのではなく、椅子じゃないものを探す。常にアンテナを立て、「方向の転換」を模索する。その方向がどこにあるのか、まだわかりません。現時点では何が最適解であるかの判断も難しく、AIエージェントなど多くの検証や実証段階にある試みは、まだ結果として明確に出ていません。今はできるだけ情報を集め、社会の変化と試行錯誤の中で、新しい可能性を探している時期なのではないかと感じています。
教育の未来と人の動き。
一生懸命勉強して、いい大学に入り、いい会社に就職する。それが、長い間、多くの人が信じてきた人生の成功モデルでしたが、知識を蓄え、正確に処理し、文章を書き、分析し、プログラムを作ることまでAIが担うようになった今、未来はどうなるのでしょう。もちろん、大学で学ぶことが無意味になるわけではないけれど、これまでのように、学歴や専門技術が安定した職業や収入につながるという常識が、揺らぎ始めているように思います。努力することの意味さえ、変わっていくのかも知れません。
AI時代に差しかかった「今」AIに対する人々の反応が、驚くほど分かれていて、非常に興味深いです。AIの可能性にワクワクしている人、新しいサービスや事業の開発に挑戦している人。仕事がなくなるのではないかと不安を感じている人。AIにほとんど関心がない人。AIを万能な存在だと過信する人もいれば、「AIブームだね!」と言って、単なる検索ツールの延長だと思っている人もいます。同じ2026年を生きながら、見つめている未来はまるで違う。でも、多くの人は、期待と不安が同居しているのではないでしょうか。
数年後、今の人々の反応は、どのように変わっているでしょう。今、AIに熱狂している人が成功するとも限らないし、今は関心のない人が、将来大きな可能性を見つけることもあるかもしれません。インターネットが普及し始めた頃も、そうだった。歴史は、後から振り返ると一本の道のように見えるけれど、どの道がどこへ続いているのか、まだ誰にもわからない。
生き残ることから、残すことへ。

これから先、世界がどう変わっていくのか、10年後、今ある仕事のどれだけが残っているのかも誰にもわかりません。人は何のために働き、何を目指して教育と学びが必要になるのか。AIが人間よりも多くのことを、速く、正確にこなす時代になったとき、人間にしかできないことは、どれだけ残っているのか。
次世代に残せることは、なんだろう。それは、Web制作の技術かもしれないし、学生たちに伝えてきた考え方かもしれない。何かを作り上げるまでの試行錯誤や、学ぶことの面白さかもしれない。たとえ、AIがなんでもできるようになって、仕事として役に立たない無駄な技術になったとしても、自分の経験が、未来の誰かの「学びたい気持ち」に応えられるのであれば、意味のあることだと信じたい。
2026年、秋。
数年後に、この記事を読み返したら、「あの頃から、すこしずつ変わり始めてたんだ」と懐かしく思うかも知れません。何が生まれ、何が姿を消していくのでしょう。未来が見えないまま時間だけが、進んでいく。医者に代わってオペをするフィジカルAIの実現やクルマが空を行き交う時代には、もう自分は、生きてないんじゃないかな。戦争のない平和な時代に生まれ、目まぐるしい社会の変革も経験したし、自分なりに充実した人生だった気がする。
今は、じっと静かに情報を集め、手と頭を動かしてみる。気づかないほど静かに、けれど確実に、時代は動いている。世の中の空気や人の動きを見つめ、思考を深める。これまで培ってきたものを、焦らずゆっくり、次の時代へ繋いでいくための準備を進める。小さな喜びや感謝、達成感って、人にしか味わえない感情だものね。

お読みいただきありがとうございました。
MITSUYO NAKATA.

