-新富裕層調査2026-新富裕層とは?

豊かな人生とは何かを考える。

先日、博報堂が「新富裕層」に関する調査結果を発表しました。世帯年収3,000万円以上が「富裕層」5,000万円以上が「超富裕層」が、ひとつの目安だそうです。また、世帯年収5,000万円以上の世帯では、その半数以上が「純金融資産5億円以上」を保有しているとのこと。正直、あまりにも桁違いな数字にただただ驚くばかりです。
「新富裕層調査2026」
https://www.hakuhodo.co.jp/news/newsrelease/267368/

わたしが想像する「富裕層」とは、クルーザーや高級車をいくつも所持し、日常的にハイブランドを買い求めるような人たち。豪邸やタワマンに住み、別荘も多数所持。派手な装いで、趣味やパーティ三昧。時間を持て余していて、高級ホテルに泊りながら、世界中を旅している。そんな煌びやかなイメージです。この調査を見て、「富裕層」や「豊かさ」について考えてみました。

高級なお店は、なぜ静かなのか。

一等地に大きな店舗を構える高級ブランド店は、「こんなに人が少ないのに、どうやってお店が成り立っているんだろう?」と不思議に思ったことがあります。たくさんの人が来て、たくさんの商品が売れるから利益が出ている。それが私の知る「繁盛しているお店」でしたが、偏った視点だったのかもしれません。高級なサービスにおいては、「人が少ない」ということ自体が価値になる世界もあるのだと知りました。


お金で「時間」を買う人たち。

考えてみれば、高級なサービスには「面倒がない」という共通点があります。細かく説明しなくても好みを理解してくれて、必要なものがちょうどいいタイミングで出てくる。そう考えると、富裕層が買っているものは高価なモノだけではありません。「時間を買っている」とも言えます。

もっと言えば、自分の時間や空間を邪魔されないために、お金を使っているのかもしれません。贅沢というと、豪華なものを「足していく」イメージがありましたが、本当の贅沢は逆なのかもしれません。待ち時間がなくて騒音もない。余計なものがそぎ落とされたあとに残る静かな時間こそが贅沢なのだと感じます。


「こころが満たされる」価値とは。

裕福な方を見ていると、モノそのものだけではなく「おもてなし」にお金を払う方が多いように思います。単に「サービスがいい」ということとも少し違います。「自分を丁重に扱ってくれている」と感じられることに価値を見出しているのではないでしょうか。もちろん時間も節約できますし、面倒なことも減ります。

けれどそれ以上に、人が少なく静かに過ごせること、丁寧に扱われることといった「目に見えないもの」を大切にされている。高級なサービスの本質とは、豪華なものを足すことではなく、その人の時間や気持ちを決して雑に扱わないことなのかもしれません。


「払える」と「払いたい」は違う。

一般的に富裕層は、年収や金融資産額などで分類されます。マーケティングをするうえでは必要な分類ですが、人間そのものを理解するには少し大雑把です。たとえば、100万円のバッグを買うお金持ちの人がいたとしても、すべての人がそのバッグを買うとは限りません。資産があっても、車には興味がなく高級車は買わないかもしれないし、服はユニクロで十分と思う人もいるかもしれない。その代わり、旅行には年間1,000万円以上使ったり、子どもの教育には惜しみなくお金を使うかもしれない。

逆も同じで、所得が高くなくても、好きなアーティストのライブなら全国どこへでも行く人がいる。カメラのレンズには何十万円も使うけれど、食事にはお金をかけない人もいる。つまり、「払えること」と「払いたいこと」は違うということ。人を見るとき、本当は「いくら持っているか」よりも「何にならお金を払うのか」。そこには、ひとそれぞれの価値観が見えてくるような気がします。


外から見る「想像上のリアル」

わたしは、学生にデザインを教えていますが、「富裕層向けのホテルをデザインしてください」と課題を出すと、学生たちは途端に難しそうな顔をします。高級そうな写真を並べ、黒と金を使って、明朝体を置く。どうしても、そんな表面的な表現になりがちです。

これは、出産経験のない学生に「子育て中のママ」向けのデザインを考えてもらう難しさと同じです。経験したことがない世界は、外側から見た想像で補うしかありません。高級車、ブランド品、黒と金。子育て世代、やさしい色、お母さんの笑顔。それが間違いではありませんが、あくまで「外から見て想像した、それらしさ」に過ぎないのです。


大人の豊かな暮らしとは。

以前のわたしにとって「高級」とは、華やかで、誰もが知っていて、日常の少し上にある特別なものでした。ときには背伸びをして、普段は選ばない高価なものを買ったり、格式のある場所へ出かけたり。でも今は、静かで余白があり、必要以上に踏み込まれない。必要なときにそっと気づいてくれる、あたたかい空間やサービスにこそ価値を感じるようになりました。

自分の時間や気持ちを乱されないことに豊かさを感じています。価値観って、変わるんですね。街並みや流行がいつの間にか変わっていくように、自分の好みや価値を感じるものが、少しずつ変わっていきました。


買えないものを、守るためのお金。

博報堂の新富裕層調査を眺めていると、興味深い傾向が浮かび上がってきます。富裕層の関心は、単なるモノの所有から、体験、学び、健康、人とのつながり、子どもの教育へと向かっていました。お金を十分に持つようになると、人は「お金そのものでは買えないもの」を、守るためにお金を使い始めます。健康、時間、知性、信頼関係、そして美しいものを美しいと感じる心。それら自体はお店で売っていません。けれど、それらを育て、守るためにお金を使うことはできます。


「富の成熟」の先にあるもの。

若いころは、欲しいものを手に入れることこそが豊かさだと思っていました。あのバッグやあの服が欲しくて、ただ「所持品」を増やすことに夢中だった気がします。けれど年齢を重ねるにつれ、欲しいものの種類が変わってきました。健康で、自由な時間があること。知らない世界や景色を見ること。新しいことを学び、小さな感動や成長を見つけながら、不要なものを削ぎ落とし、好きなものだけに囲まれて優雅に過ごす。

買えるものを増やす段階を超えて、はじめて知った「買えないもの」の本当の価値。富の成熟とは、買えるものを増やすことではなく、お金では買えないものがこんなにもあるのだと気づくプロセスなのかもしれません。

あなたにとっての「お金では買えない豊かさ」は、何でしょうか?特別な場所へ行かなくても、特別なモノを買わなくても。 目の前にある静かな時間を愛おしむことから、本当の豊かさは始まっているのかもしれません。

お読みいただきありがとうございました。
MITSUYO NAKATA.