誰にでもある逆境
若い頃は、とにかく時間がなくて、気持ちにも余裕がありませんでした。「子供がいて、仕事をする」ということは、とても大変です。多くのことが板挟みになり、何度かつらい時期がありました。さびしくさせてしまったこと、叱責されたこと、自分を責めたこと、抱きしめられなかったこと。涙が止まらず、打ちひしがれたことがありました。わたしは、どうしたらいいんだろう。たくさんのことが、押し寄せました。
わたしは、家を飛び出して、近くの公園で泣きました。恥ずかしいくらい大声で泣きました。どうしていいかわからない。「涙って、枯れないんだな。」たくさん涙を流した後、ふと我に返って気づきました。
ちょっと、泣きすぎじゃね?

それは、感情的にしか言葉を吐き出せなかった自分を、別の視点から見えた瞬間でした。泣いてばかりで、感情論を発していても、なんの解決にもならない。いろんなことを我慢したり、飲み込んだりしている自分を、第三者の目線で別の視点から冷静に見ることで、正面から物事を受け止めることができた。やがて、次の選択が見え始め、前に進むことができました。
あの瞬間が、ひとつの分岐点だったと思います。
メタ認知とは。
人生には、次の選択へ進めないほど落ち込むことがあると思います。「今、自分に何が起きているか」を、一歩外から見る力を養うと、乱れた感情を整え、原因や思考の癖、事態全体を冷静に判断することができます。メタ認知とは、「自分を客観的に見ること」です。決して、悲しい気持ちを我慢したり、怒っている自分を押さえつけたりすることではなく、悲しいときは、悲しい。腹が立つときは、腹が立つ。その爆発している感情がはっきり自分の中にあることを認める。そして、少し時間を置いて冷静になってからゆっくり思い起こします。
わたしは、なぜこんなに悲しいのか?
なんでこんなに腹が立つのか?
ほんとうは、なにが一番つらいのか。
別の自分が、自分に問いかけます。感情の中にいる自分と、「自分を冷静に見るもう一人の自分」をつくるような感覚です。そして、悲しんでいる自分を、自分で慰める。気の済むまで泣けばいい。踏ん張っている自分を認めてあげる。よくがんばった。そう、わたしは精一杯だった。誰にも褒めてもらえなくていいのです。
事実と感情を分ける。

つらい出来事が起きたとき、私たちは「起きたこと」と「感じたこと」と「自分の解釈」を一緒にしてしまいがちです。たとえば、「仕事で強く叱責された」。これは、起きた出来事であり、「悔しい」「悲しい」「腹が立つ」これは感情です。ここが、混ざってしまうと感情が乱れてしまう。
「わたしは評価されていない」
「わたしなんて必要ない」
「全部わたしが悪い」
だんだん自分の勝手な解釈さえ混ざってくる。起こった事実と自分の感情を混ぜてはいけない。
ほんとうは、何が原因だったのか。
それをどう受け取ったからこんなに悲しかったのか。
次へ進むために、どう捉え直せばいいのか。
ゆっくり解いていく。それだけでも、取り乱していた感情が少しずつ整理されていきます。「自分で自分を見る」というメタ認知が定着すると、他者の言動や評価についても自分の視点だけに偏らず、多角的な視点から冷静に判断できるようになります。それにより、些細な出来事に感情が揺さぶられることが少なくなります。
自分のトリセツ
人は、自分のことを、意外に分かっていないものです。普段から「自分はどんなときに機嫌がいいのか」「何をされると傷つくのか」「どんなときに疲れるのか」を意識すると、少しずつ自分という人間がわかってきます。
客観的に自分を見ることで、日常を意識できるようになり、次第に「自分の取り扱い説明書」が出来上がります。自分のトリセツは、一度作って完成ではなく、思考や環境が変わるごとに、アップデートしていくもの。だから、ときどき自分を観察して、書き換えていくのがいいのです。
自分を知っているからといって、逆境がなくなるわけではなく、傷つくことも落ち込むこともあると思います。でも、「わたしはこういうとき、こうなりやすい」と知っていれば、自分を見失いにくくなります。そして、「こうすれば少し戻れる」という方法も、自分の中に持つことができる。毎日をご機嫌で過ごすためにも、自分を知ることは、とても大切なことだと思います。
見える景色が変わるとき。

自分で自分を見ることができるようになると、感情の真ん中にいた自分から、ほんの少し外へ出ることができます。起きてしまったことは消せませんし、過去や相手を、変えることもできません。変えられるのは、目の前の景色だけなんですね。見る位置が変わると、それまで見えなかったものが見えることがあります。
景色が、ほんの少し変わったら、人はそこから、また歩き出せるのだと思います。
お読みいただきありがとうございました。
MITSUYO NAKATA.

